個人的に感じていたCSというシステムに対する疑問は依然として残るものの、終わってみれば自分でも意外なほど素直に感激。昨年まであれだけ短期決戦に弱かったチームが不思議なくらい圧倒的な強さ。CSでの早い段階での岩瀬投入は間違いなく、過去のシリーズにおける(シーズン中にもしばしば見られる)温情采配への反省であり、勝利への執念の現れ。今日の継投はその最たるもので、成功/失敗いずれに転んでも批判は免れない決断に落合監督の『らしさ』だけでなく、執念と凄みすら感じた。これまでの4年間、落合采配をきちんと見てきた人ならば理解できるはず。山井が豆をつくっていたらしい話もあるため、いまのところ真相はよくわからないが、逆によくわからない状況下で脊髄反射的に批判コメントを垂れ流す方々には首を傾げずにはいられない。ナゴヤドームのファンの歓声、戦い抜いた選手たち、そしてなにより山井自身のあの嬉しそうな顔を見れば、まずは『おめでとう』の一言を言えない不粋が他にあるだろうか。とにかく、落合監督とチームに感謝。2004年に西武ドームで山井の快投を見ている自分としては何か感慨深い試合でもあった。


11月2日追記
『過程』のことをうんぬん言っている方がいらっしゃるようですが、それを言ったら「04年・06年の敗戦」「キャンプでの森野のノックに代表される12球団随一の猛練習」だってここにいたるまでの過程なわけで。1試合という短いスパンでの過程もあれば、数ヶ月〜数年単位の長いスパンでの過程もある。なんだか前者のみで語られて、後者が完全に無い物とされているかのような論には説得力を感じない。もちろん、完全試合を見たかったという意見も充分すぎるほどわかっているつもりだし、その主張を否定する気もない。自分だって見たい気持ちはあった。そんなこと当たり前ではないか。「継投に至るまでの経緯を把握しない(把握しようともしない)」「野球には興味がない、という枕詞を免罪符にしている」「数々の『過程』を経て『結果』を出したチームへの敬意がない」ような人たちの論は肯定にしろ否定にしろ、個人的には読みたく(聞きたく)ない。逆にあれだけの(あえて書くが)奇策を目の当たりにして、「どうして『結果』を優先したのだろう?何があったのだろうか?」という想像力は働かないものだろうか。ヲタの戯言はこの辺で止めます。